お伊勢講(おいせこう)


<写真>伊勢神宮 宇治橋

当時の庶民にとって、伊勢までの旅費は相当な負担でした。日常生活ではそれだけの大金を用意するのは困難です。

そこで生み出されたのが「お伊勢講(おいせこう)」という仕組みでした。

「講」の所属者は定期的に集まってお金を出し合い、それらを合計して代表者の旅費とします。誰が代表者になるかは「くじ引き」で決められる仕組みでしたが、当たった者は次回からくじを引く権利を失うため、「講」の所属者全員がいつかは当たるように配慮されていました。くじ引きの結果、選ばれた者は「講」の代表者として伊勢へ旅立つことになります。旅の時期は、農業が忙しくない“農閑期”が利用されます。なお、「講」の代表者は道中の安全のために2,3人程度の組で行くのが普通でした。

出発にあたっては、盛大な見送りの儀式が行われました。また地元においても道中の安全が祈願されました。参拝者は道中観光しつつ、伊勢では代参者として村の皆の事を祈り、土産として松阪や京都の織物などの伊勢近隣や道中の名産品、御祓いや新品種の農作物の種、最新の物産(“軽くてかさばらず、壊れないもの”がよく買われました)を購入したそうです。無事に帰ると、帰還の祝いが行われました。

江戸時代の人々が貧しくとも一生に一度は旅行できたのは、この「講」の仕組みによるところが大きいと考えられます。

またこの「お伊勢講」は日常においては神社の氏子の協同体としても作用していました。「お伊勢講」は畿内では室町中期から見られた現象ですが、全国的になったのは江戸以降のことです。江戸時代が過ぎてもこの仕組みは残りました。(なお戦後は講を賭博行為とみなしたGHQにより解散させられました。)地域によっては現在でも活動を続けている伊勢講もあります。

「お伊勢講」が無かった地域では、周囲からの餞別(せんべつ)が旅行費の大半を占めていました。

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